それは、ほんの些細な油断から始まりました。ラーメンをすすった時、勢い余って麺が上唇の裏側をピシッと叩いたのです。その時は少し痛い程度で、すぐに忘れてしまいました。しかし、翌朝、鏡で確認すると、そこには見慣れた白い悪魔、口内炎が誕生していたのです。場所は、上唇のちょうど真ん中の裏側。最悪の位置でした。その日から、私の日常は一変しました。まず、朝の歯磨きが最初の試練です。上の前歯を磨こうとすると、歯ブラシのヘッドが容赦なく口内炎を直撃します。あまりの痛みに、涙目で歯磨きを中断せざるを得ませんでした。朝食のトーストも地獄でした。パンをかじろうとすると、そのザラザラした表面が、まるでヤスリのように口内炎を削り取っていくのです。会社での会話も苦痛でした。「おはようございます」と挨拶するだけで、上唇が動いて痛みが走ります。笑うなんてもってのほか。同僚の冗談に愛想笑いを浮かべるたび、顔は笑っていても心の中では悲鳴を上げていました。最も過酷だったのが、昼食のスパゲッティです。フォークで巻いたパスタを口に運ぶ。その瞬間、数本の麺が的確に口内炎を攻撃し、脳天を突き抜けるような激痛が私を襲いました。食事をすることが、こんなにも苦しいなんて。その夜、私は決意しました。この戦いに終止符を打つために、食事のスタイルを根本から変えることを。翌日からの私の食事は、ゼリー飲料、ヨーグルト、そして細いストローで飲むスープだけになりました。会話も最小限に、笑顔も封印。まるで修行僧のような数日間を過ごし、ようやくあの白い悪魔が小さくなり始めた時、私は心から安堵しました。上唇の口内炎は、ただの口内炎ではない。それは、日常のささやかな幸せを根こそぎ奪っていく、恐ろしい敵なのだと、身をもって知った出来事でした。